コロナ禍で変わらないもの

 コロナ禍で閉塞感が続いています。今、大変な思いをしながら過ごしておられるかたも多くおみえになると思います。

 コロナ禍が始まった頃、ある方がカウンセリングでコロナ禍についての不安と絶望感を話しておられました。その気持ちは痛いほど分かる気がしました。

 私はお話をうかがった最後にふと、「コロナがあっても自然は変わっていないですね。水や空気までが汚染されているわけではなくて、作物はできるし川には水が流れているし。春になったら花は咲くし、食べ物もある、だからきっと大丈夫です」と口をついて出ました。

 カウンセリングではセラピストが個人的な意見を伝えることはあまりよくないこととされています。私はその時、その原則を破ってしまったのでした。この言葉は、私が自分自身に言いたかったことだったのでしょう。でもその方は、カウンセリングを終えてお別れする際、「あの時、先生のあの言葉が聴けてよかった。本当にそうかもしれない、と思いました」と言ってくださいました。

 コロナ禍で様々なものが制約を受けています。いつも出かけていた場所に行けなかったり、あるはずのものがなかったり、自由におしゃべりできなかったり、大切なお仕事ができなくなったり、大事な人に長く会えていなかったり…。

 心理学ではこういったことを“対象喪失”と言います。この“対象喪失”の連続の中、私たちはほんとうによくがんばっています。一体いつまでこの状態が続くのかしらと思いながら。 

 こんなときこそ視点を変えて、せめて自分に在るものや恵まれていることにもう一度目を向けてみるのがよいかもしれないと感じます。変わらず在るものに意識を向けることは心に安心をもたらします。

 「あの時はたいへんだったね。でもまたこうやって会えたね」と笑い合えるときが来るように。

 テレビやネットのニュースを見るのは最小限にし、心地よいものに目を向けてみましょう。自分を労わって、できることだけに集中していきましょう。きっと今しかできないことがあるはずです。

 季節は変わらず、移りかわってゆきます。

 今日は近くに赤とんぼが飛んでいました。秋はすぐそこまで。